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あなたは、藤田田(ふじたでん)さんという伝説の経営者をご存知でしょうか。まだ日本にハンバーガーが定着していない時代、アメリカからハンバーガーを持ち込んだ人物こそ、藤田田さんです。”醤油と米”の国に、”パンとケチャップ”の文化を持ち込み、今の日本マクドナルドの基礎を築いた、知る人ぞ知るスーパー経営者です。
今のソフトバンクグループの成功も、藤田田さんと孫正義さんの出会いがなければ、なかったかもしれません。
さて今回は、 ソフトバンクの創業者 孫正義さんのメンター(良き指導者) 日本マクドナルドの藤田田さんを探っていきたいと思います。
この藤田田さん、とにかくキレモノです。日本マクドナルドを設立する際も、マクドナルド本家の創業者レイ・クロックさん相手に、交渉を有利に進めます。米国本社と日本マクドナルドの出資比率を50対50の折半とし、「米国本社からアドバイスは受けるが、命令は拒む」という断固たる姿勢を示したのです。
その結果、経営権・人事権を握り、食材調達は自分で設立した輸入雑貨販売店 藤田商店を使うという、考えられないほどの好条件を獲得しました。このことが、後に悲劇をもたらすことになるとは、藤田田さんはまだ知る由もありません。
オリエンタルランドもそうですが、昔の日本人はアメリカ人に対しても、毅然と交渉していたんですね。
オリエンタルランドについて知りたい方は、こちらの過去記事をご覧くださいませ。
藤田田さんは、成功の秘訣を「アメリカの文化を日本に輸入したことだ」と語っています。日本人には根強い西欧文明への信仰があり、それを無意識に刺激することで、日本に浸透させることに成功したのです。ちなみに、藤田田さんは、藤田商店、日本マクドナルドの他に、日本トイザらスも創業しています。
藤田田さんは、書籍も多く出版しています。中でも有名なのは、1972年に出版した「ユダヤの商法 世界経済を動かす」 です。2000年の時を生き抜いた祖国を持たないユダヤ人に、成功の秘訣を見いだしたのです。この本は、経営者のバイブルと言われ、大ベストセラーになりました。残念ながら、再販されていないため、今ではとても高額で取引される希少本となっています。
この本に、突き動かされた少年がいます。後のソフトバンクグループの孫正義さんです。
「ユダヤの商法」 を読んで感動した孫正義少年(16歳)は、高校一年生の時に、アメリカに留学して何をすべきかを、藤田田さんから直接アドバイスが欲しいと考えました。突飛な思いつきでしたが、居ても立っても居られなかった孫少年は、藤田田さんの元にアポなしで押しかけてしまいます。まるで電波少年のようですね。
多忙な藤田田さんと、会える可能性は極めてわずか。ここで、孫少年は一つの策を弄します。羽田空港に着いた孫少年は、電話に出た秘書に対し「今から自分の言うことをメモ用紙に書いて、藤田さんに渡してください」と伝えます。
「私は藤田さんの本を読んで感激しました。是非、一度お目にかかりたい。しかし藤田さんがお忙しいことは重々承知しています。顔を見るだけでいいんです。三分間、社長室の中に入れてくれればそれで良い。私はそばに立って藤田さんの顔を眺めています。目も合さない、話もしないということなら藤田さんのお邪魔にはならないのではないでしょうか?」
孫少年は、この秘書に対し「このメッセージが書かれたメモ用紙を藤田さんが見て、それでも『会わない』というなら私は諦めて帰ります。ただし決して秘書のあなたが判断しないでください。」と続けます。さらに、「さっき書いたメッセージを復唱してください」と言って、秘書がメモしたかどうかを、念押しまでしたそうです。
結果は、孫少年の作戦勝ち。見事に、15分の面談にこじつけ、藤田田さんのアドバイスを得ることに成功したのです。
「私の時代は戦後間もない時期だったから、食物に目をつけてマクドナルドをはじめた。しかし、今は食物は豊富にある。これから人々を世界を動かすのはコンピューターだ。今のコンピュータはこの部屋ぐらいの大きさだが、これからはもっと小さくなる。そしてもっと必要になるので、アメリカでコンピュータの勉強をするといい」
孫少年は、このアドバイスを愚直に聞き入れ、アメリカに飛び立ちます。その後の成功は、ご存知のとおりです。その源流には、藤田田さんの「ユダヤの商法」による文化の輸入戦略があったのです。
ソフトバンクを成功させたのち、孫正義さんがこの話を藤田田さんに報告すると、「あのときの高校生が?」と感激し、パソコンを300台も発注してくれたそうです。なんだか、深イイ話ですね。ちなみに、藤田田さんは、90年代からソフトバンクの社外取締役を務めていました。
藤田田さんの心を射止める作戦を考え、実際に行動に移した孫正義さん。これが、わずか16歳だったというから驚きですよね。逆に、若い高校生だったからこそ、藤田田さんも会ってみようと思えたのかもしれません。それにしても、秘書に取り次がせるために、わざわざメモを取らせ、復唱までさせた徹底ぶりには、只々感服させられます。
2004年4月、藤田田さんは心不全(享年78歳)で息を引き取ります。米国本社はこれをチャンスと捉え、藤田経営の破壊を仕掛けます。米国本社としては、日本マクドナルドの有利な契約条件が気に食わなかったのです。米国本社が刺客として送り込んだのが、原田泳幸さんです。当時、アップルコンピュータの社長だったので、「マックからマックへ」とキャッチフレーズで一時期話題になりました。
原田泳幸さんのミッションは、藤田派幹部の一掃です。この時に、日本マクドナルドのホームページから、藤田田さんの痕跡が消されてしまいます。我々が藤田田さんのことをあまり知らないのは、このせいかもしれません。とにかく米国本社の言いなりで、藤田田さんとは真逆の経営手法を取りました。こうして藤田派の経営幹部を次々と切り捨て、大リストラを敢行していったのです。結果、業績は一旦上がったように見えたものの、それは一時的にすぎず、ドンドンと業績は下降線を辿ることになったのです。
では、切り捨てられた幹部たちは今、何をしているのでしょうか。
驚いたことに、日本マクドナルドを追放された幹部たちは5人とも、大出世して大手外食チェーンで活躍している人ばかりでした。独自のやり方を追求した藤田さんの愛弟子たち。マクドナルドとは一味違った方法で、外食チェーンを盛り上げていたのです。5人のうち3人がハンバーガーを販売するライバル会社にいるのは、なんとも皮肉な話ですね。結果として、マクドナルドにとって痛手になった原田さんの粛清ですが、日本の食文化にとっては、良いことだったかもしれません。
藤田田さんのDNAは、孫正義さんだけでなく、いろいろなところで生き続けているようです。
藤田さんの「田(でん)」という名前、少し変わった名前ですよね。これは、母親がクリスチャンだったため、「口に十字架」という意味を込めて、名付けられたそうですよ。藤田田さんがユダヤ人に興味を持ったのも、こんな名前を授かっていたからかもしれません。
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