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名物社長として知られる高田明社長が、来年2015年の1月で退任することを発表しました。
ジャパネットたかた(本社長崎県、髙田明社長)は7月31日、都内で開催したパーティーの席上で、髙田社長が来年1月16日付で社長を退任することを正式に表明した。後任には髙田旭人副社長が昇格する。
(情報提供元:日本流通産業新聞 )
テレビドラマ「HERO」の主人公久利生公平ばりの通販好きな筆者としては、とても気になるニュースです。
さて今回は、退くことを決断した高田明社長の勇退の美学に迫っていきたいと思います。
そもそも、ジャパネットたかたは高田明さんの父親が経営していたカメラ店から独立し、ソニーの特約店として佐世保市内にカメラ店をスタートしたことから始まります。転機となったのが、1990年のラジオショッピングでした。地元のラジオ中継車で、コンパクトカメラを販売したところ、5分で50台という驚異的な販売を叩き出したのです。高田明社長は、ラジオの持つ影響力を目の当たりにし、販売チャネルをラジオ通販事業へとシフトしていったのです。
テレビ通販事業への参入は、それから4年後の1994年です。ここから、怒涛の快進撃が始まります。上の表を見ると、2010年までに見事な右肩上がりを見せています。1999年には社名を“ジャパネットたかた”に改称し、2000年には、カタログ通販事業とインターネット通販事業もスタートします。これにより、日本全国をカバーするメディアミックス体制が完成します。2001年には、佐世保市内に自社専用の本格テレビスタジオを構え、番組もすべて自社スタッフで制作する自前主義体制を築きました。また、ジャパネットと言えば、年間約50億円とも言われる”金利・手数料ジャパネット負担”という独特なビジネスモデルも目立ちます。
高田明社長は、一代で年商1700億円の通販会社を育て上げました。この業績を可能にしたのは、メディアミックスと自前主義というビジネスモデルです。そして、その本質は高田明社長の”商品を見極める眼”と”魅力を伝える話術”にあります。
ジャパネットたかたは、何十万点もの商品をそろえる家電量販店やアマゾンとは違い、およそ30商品で売上高の8割を占めるコンビニ型の販売モデルです。高田社長が「これは面白い!」と思った商品を、現金で大量に買い付けて、一気に売りさばくというスタイルです。これを可能にしたのが、高田明社長のセールストークです。
朴訥(ぼくとつ)とした語り口に騙されがちですが、高田明社長は、商品の特徴をかなり噛み砕いて紹介しています。よくもまぁ、ここまで、わかりやすく説明できるもんだと、感心させられます。この根本にあるのが、”徹底した顧客目線”です。「商品を買うことによって、消費者にどのようなメリットがあるのか」ということを、ひたすら情熱をもって訴えかけているのです。そして、最後に一言、「金利手数料はジャパネットたかたが負担します!」この一言で、「買わなきゃ!」という気になってしまうのです。あのハイトーンボイスに、思わず財布のひもを緩めてしまった読者の方もきっと多いはずです。
ジャパネットたかたといえば、2004年に起きたの”情報漏洩事件”を思い出す人も多いかもしれません。ユーザーの顧客リスト51万人分のデータが流出したあの事件です。時期としては、テレビショッピングをはじめてちょうど10年目という節目の年で、セール真っ只中での事件発覚でした。
事件を知った晩、高田明社長は、副社長でもある妻の惠子氏と2時間ほど話し合い、「漏えい規模も犯人も何も分かっていない状態で、売り続けるべきではない」という結論に達しました。そして、49日間の営業自粛を決断したのです。この休業中の機会損失が、150億円とも200億円とも言われています。この決断は、なかなか出来るものではありません。
この決断を後押ししたのが、「お客様と周囲が幸せになれば十分。会社を大きくすることが目標じゃない」という考え方でした。「もし1年間自粛することになったとしても、また一からやり直せばいいじゃないか」と、当時の高田明社長は本気で思っていたそうです。目先の売り上げにとらわれ、お客さまや周囲との信頼関係を失うことが、高田明社長にとっては、最も耐え難いことだったのです。そこには、リスクマネジメントという発想はありません。以下の3つのことを、ただ愚直に迅速に取り組んでいっただけなのです。
結果として、この誠意のある謝罪により、世間から髙い信頼を得るきっかけとなりました。そして、ジャパネットたかたは営業再開後にすぐにこの赤字を解消することができたのです。このように素早い対応ができたのは、常日頃から高田明社長の価値判断基準が明確だったからに他なりません。
2013年度は、高田明社長にとって”覚悟の年”でした。冒頭のグラフを見てみると、ジャパネットたかたの売上高は2010年度の1,759億円をピークに、2012年度は1,170億円へ急縮小していることがわかります。この原因は、薄型テレビをはじめとする家電販売の苦戦に加え、ネット通販の台頭にあります。端から見ると、「仕方のないことだな」と諦めてしまいがちですが、高田明社長は、現状打破に向けて勝負に出ます。
2012年8月に東京オフィスを開設。そして、六本木の高層ビル内に大掛かりなテレビスタジオを設置します。その上で、「2013年度に最高益を達成できなければ、社長を辞める」と公言したのです。引退するためのパフォーマンスと、ある種冷ややかな見方をしていた筆者ですが、その予想は完全に覆ることになります。2013年12月期のふたを開けてみると、過去最高益となる154億円を更新し、高田明社長の続投が決まったのです。もう「天晴!」としか言いようがありません。
にもかかわらず、高田明社長は、そのわずか半年後に再び退任を宣言します。端から見れば、「殿、ご乱心!?」と思わず言いたくなるような行動です。しかし、その背景には、構造改革に一定の目途がついたと考えるのが妥当かもしれません。
ジャパネットたかたは、2012年度に売上の8割だった家電比率を、2013年度は5割まで引き下げる目標を掲げていました。今まで得意としてきた黒モノ家電を大幅に絞り、白モノ家電を増やすことに成功したのです。これらの構造改革を担ったのが、息子である高田旭人副社長です。
高田旭人副社長は、自らが発案した”チャレンジデー”で新たな大量販売の新モデルを築いた人です。チャレンジデーとは、1日限定で1商品をテレビやネット、チラシ、ラジオなどすべてのチャネルで、徹底的に販売する取り組みのことです。当初、高田明社長は猛反対。しかし、実際にやらせてみると大成功でした。会社を劇的に変えるような効果があったのです。このチャレンジデーにより、白モノ家電の比率を高めただけでなく、新カテゴリとして設けた”衣食住”の分野でも、健康器具や食品といった製品群を増やしました。その結果、過去最高益をたたき出したのです。
”家電販売の苦戦”や”ネット通販の台頭”という圧倒的な不利な外部環境にも関わらず、ジャパネットたかたは過去最高益を達成しました。従業員の「社長をなんとしても辞めさせるわけにはいかない」というおもいが、困難なチャレンジを成功へと導いたのだと思います。この成功は、生半可な気持ちでは達成できません。外部環境を言い訳にせずに、目標を達成するためには何をするべきかという一点に集中することで、ここまでパワーを発揮することができたのです。
皮肉なことに、この息子や従業員の姿は、結果として、高田明社長の引退の決断を後押しします。そもそも、高田明社長は人に任すことが苦手なタイプだったそうです。しかし、一旦引退を示唆し、任せたことで「自分がいなくても、この会社は大丈夫」と、心の底から安堵したのでしょう。これは、引退宣言をしていなければ、見えなかった現実かもしれません。
会社を苦労して築き上げた経営者の中には、いつまでも社長の立場にこだわっている人も多くいます。それ自体は決して悪いことではありません。しかし、次の世代にバトンタッチしなければ、社長に万が一のことがあったとき、会社の存在自体が危うくなることもあります。「会社にとって何をなすべきか」その視点で行動できる人が、真の経営者だと筆者は思います。
高田旭人副社長は、2003年にジャパネットたかたに入社し、その翌年に元従業員による情報漏えい事件を経験しています。創業以来、最大の危機に見舞われた父・高田明社長を支えたのが、何を隠そう当時社長室長を務めていた旭人副社長なのです。父親の偉大な決断を目の当たりにした旭人副社長に、大いなる期待をしてしまうのは、筆者だけでしょうか。
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