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昨年、国内3つ目となる団体競技プロスポーツとして、男子バスケットのプロリーグ「B.LEAGUE(以下、Bリーグ)」が華々しく開幕しました。忘れもしない2016年9月22日のことです。開幕戦をテレビに噛り付いて観戦したバスケ小僧の筆者です。
さて今回は、日本バスケ界を立て直した我らがリーダー川淵三郎チェアマンを探っていきたいと思います。
歴史的瞬間、Bリーグの開幕戦、あなたはどのようにご覧になったでしょうか。LEDの電飾を駆使したコート、ショーアップした会場の雰囲気。小中高とバスケに明け暮れてきた筆者としては、もうただただ大興奮でした。まさか、日本のバスケがゴールデンで生中継、しかも、NBAバリのド派手な演出・・・。感慨深く「東京アルバルク」VS「琉球ゴールデンキングス」の試合を拝見させていただきました。
二年前を振り返ると、とてもとても想像ができません。なぜなら、かつて日本のバスケットボールリーグは、二つに別れてどうしようもない状態に陥っていたからです。
もともと、日本にはプロバスケットボールリーグはなく、企業がチームを持つという実業団という形式で活動していました。日本バスケ界の混乱は、約20年前、Jリーグが産声をあげた頃に遡ります。NBA人気やスラムダンクのアニメ化により、日本でもバスケが大ブーム。(当時、筆者が通っていた高校では、入部希望者が約80名、まさに異常事態でした。)タイミングは偶然だったかもしれませんが、ちょうどこの頃、日本バスケ界にもプロリーグ構想が生まれました。
ここから、日本バスケ界の苦難の歴史が始まります。全てを書くとなるとかなり長くなってしまうので、ざっくりと箇条書きさせて頂きます。
- JBL設立: 元々実業団リーグが、スラムダンクやNBAの人気に後押しされてプロリーグ化を検討。バスケットボール日本リーグ機構(JBL)が設立される。
- 対立発生: プロ化を嫌がる実業団チームと、プロ化を目指すセミプロチームで対立発生。興行権を持っているJBLもプロ化しなくていいんじゃないかという姿勢。
- bjリーグ発足: 新潟アルビレックスとさいたまブロンコスの2チームがJBLから脱退。独自のbjリーグを立ち上げる。
- JBL激怒: それに怒ったJBL、世界選手権に出場できる選手をJBL所属だけに限定する。
- 地道に頑張るbjリーグ: bjリーグは、実業団ではないので母体の企業体がなく、苦しい状況が続いたが、地元のスポンサーを探したり、ハーフタイムショーを充実させたり、ファンサービスを頑張って収益化&地域密着型を目指す。
- JOC管轄下: 2006年世界選手権が日本で行われるものの、13億円もの大赤字を出す大失敗。その後のJBLの対応のまずさを巡って、JOC(オリンピック委員会)が仲裁、管轄下に置かれる。
- JOCから資格停止処分: しかし、その後もゴタゴタはおさまらず。 赤字を補填するために全国の部活動等からバスケ協会員の登録費を値上げしたりやりたい放題。結局JOCから資格停止処分を受ける。これでオリンピックなどへの参加が禁止。
- FIBA介入: ある程度内紛が収まり、JOCの資格停止処分はなくなるが、あまりの酷さにFIBA(国際バスケットボール連盟)が介入。
簡単に言えば、日本バスケにはNBL(実業団リーグ)とbjリーグ(プロリーグ)の二つのリーグが存在し、いろいろな利権が絡みに絡んで、20年超の期間、誰にも手の付けられないめちゃくちゃな状態となっていました。その結果、マンガのスラムダンクブーム、日本人初のNBAプレイヤーの田臥ブーム、ドリームチームが来日した世界選手権を全く活かせず、メジャーになるためのチャンスをことごとく潰してしまったのです。
一般的には、あまり知られていないこのバスケ問題ですが、バスケ好きな筆者は、この問題を密かにとても憂えていました。とにかく、バスケ関係者は半ば諦めモードで、この問題を静観していました。そんな中、ある男に白羽の矢が立ったのです。
日本のバスケ界は、このままだと国際舞台から隔絶され、オリンピックはおろか世界選手権にも出られません。63万人におよぶバスケットボール競技者たちの夢は風前の灯でした。この危機に立ちあがったのが、Jリーグの立役者 川淵三郎さんでした。
川淵さんといえば、Jリーグの初代チェアマン(理事長)として、とても有名です。今でこそ、日本サッカー協会(JFA)の相談役や、東京オリンピック・パラリンピックでは、評議員も務める日本スポーツ界の重鎮です。とは言え、当時のバスケ界では、まだまだ未知数の存在でした。
もちろん、課題は山積み。バスケットボール界にFIBAから突き付けられた主な課題は、以下の3つです。
❶ ガバナンスの改善
❷ 若い世代の代表選手権と国内大会(インターハイ)の重複問題の解決
❸ JBLとbjリーグの分裂を統合
オリンピック予選に出場するためには、2015年6月までに制裁解除にこぎつけなければなりません。そのために、上の3つの条件をすべてクリアする必要がありました。この中でも、分裂した二つのリーグを統合するのは、至難の業です。残された時間は、約4カ月。誰もが無理だと思っていましたが、川淵さんだけは違っていました。
「解決できるのは僕しかいない」
と即答したのです。
NBL(2013年、JBLが名称変更)、bjリーグ、この2大リーグがどのように統合するかが、バスケ界の長年の懸念事項でした。社団法人であるNBLと、株式会社であるbjリーグ、通常の企業の合併・統合と同じように条件を詰めていくのだろうと、ファンやメディアは想定していました。
しかし、川淵さんの案は違っていました。クラブチームが両リーグから脱退し、「第三のリーグ」に合流するという大胆な案を打ち出したのです。これは、とても危険な構想でした。
全クラブチームを脱退させるわけですから、NBLとbjリーグは休眠、もしくは清算に追い込まれます。社団法人のNBLはともかく、株式会社のbjリーグの株主は黙っちゃいません。新法人を作るから加盟してくれということは、bjリーグとしては10年間で築き上げものがなくなってしまうということに他ならないからです。
2015年2月、張り詰めた空気の中、リーグ統一のための代表者会議が開かれました。この代表者会議に乗り込んだ川淵さんは、事前の根回しはまったくなく「新リーグ構想」を打ち出したのです。完全なる奇襲攻撃でした。言ってみれば、公開プロポーズ。初めて会った日に、「離婚して俺のところに来い!」というのと、一緒です。
しかも、メディアを入れた完全公開会議。クラブチームに断る隙を与えません。これはもう、修羅場慣れしている川淵さんの独壇場でした。1993年のJリーグ発足時、読売新聞社の渡辺恒雄社長(当時)と激しい論争を繰り広げた川淵さんにとっては、もしかしたら、物足りなかったかもしれません。長らく解決しなかったバスケ界の分裂問題が解決に向かった瞬間でした。
川淵さんは新リーグの構想として、バスケ界に新たなビジョンを示しました。それが、こちらです。
Jリーグの経験を踏まえ、日本バスケットボール界のさまざまな問題を整理した、練りに練った構想でした。
商売上手な川淵さんは、100億円超の大型スポンサー契約も取り付けました。そう、あのソフトバンクからです。100億円超のスポンサー契約は、国内プロスポーツにおいてほとんど例がありません。Jリーグ時代からの川淵さんと孫正義社長の信頼関係があったからこそ、成しえたことだと思います。ちなみに、この契約はわずか二日でまとまったそうです。
その後、川淵さんは2015年5月にJBAの会長職に就任。嫌われることを恐れず、しがらみを断ち切り、次から次へと独裁的に決断を下していきました。
そして、すべての道筋をつけた2016年6月に、会長職を退きました。FIBAから「継続してほしい」という願いを断っての決断です。これは、まだBリーグが開幕する前の話です。
「79歳の僕がいつまでも居座ってはよくない」
と思ったそうです。後任は、バスケットボール界とのしがらみがなく、知名度と発信力のある、元バレーボール選手の三屋裕子さんを指名しました。その潔い引き際は、天晴としか言いようがありません。
川淵さんは「バスケットボールには、非常に明るい未来がある」と、引退した今も語っています。
元サッカー日本代表、日本代表監督、その後Jリーグの初代チェアマンとして、日本のサッカー界の発展に最も貢献した川淵チェアマン。その経験を活かし、国際試合禁止の処分を受けるほど末期的な状態だった日本バスケ界を、わずか半年で立て直した実力には感服しました。私利私欲で動かない川淵さんだからできた偉業ですね。
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