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2月12日に公開される映画「スティーブ・ジョブズ」。ジョブズさんの強烈な個性やアップルの偉大なる歴史が、どのように描かれているかとても楽しみです。公開に先立ち、ジョブズさんの生き様を筆者なりにまとめてみました。なんだか、書いているうちに、どんどんとテンション上がってきましたよ(笑)。
さて今回は、 Apple(アップル)の創業者 スティーブ・ジョブズさんの生き様を探っていきたいと思います。
ジョブズさんの性格は、ワガママで気難しく、自己主張も強烈で、メチャクチャだったと言われています。
◆妊娠させた彼女と裁判になり、子供を認知せず捨てる
ジョブズさんは、高校の時から交際関係にあったクリスアン・ブレナンさんという女性を、妊娠させた経験があります。アップルの株式公開を控えたジョブズさんは、スキャンダルを避けるため、お腹の子供を認知せず、お金をビタ一文支払いませんでした。怒ったクリスアンさんは裁判を起こしますが、ジョブズさんは、法廷で”誰とでも寝る”売女だと証言。子供が他人の子である妥当性を証明しようとしました。
◆できたてのiPod試作機を水槽へぶち込む
徹底的に小型化が命じられていたiPodの開発時、スタッフが、完成した試作機をジョブズさんに見せにいくと、いきなり水槽の中にぶち込まれました。試作機からプクプクと出た気泡を指し、「この酸素の分、もっと薄くしろ」と、ジョブズさんは言い放ちます。完成間近だったiPodが、ジョブズさんの一言により、土壇場でひっくり返されました。
ジョブズさんの仰天エピソードは、数え上げればキリがありません。詳しくは、ネットで検索してみてくださいませ。相棒のウォズニアックさんも、映画の宣伝時に「そんなにイイ奴ではなかった」と語っています。遠目で見ている分には素晴らしい経営者でも、あまりお近づきにはなりたくないタイプのようです(笑)。
では、ジョブズさんの強烈な個性を形成したものとは、いったい何だったのでしょうか。
養子に引き取られたジョブズさんは、幸せな幼少期を過ごしましたが、”捨てられた”というおもいは、とても大きかったようです。よく「僕は(両親に)選ばれたんだ」と強調していたのも、悲しみの裏返しだったと言われています。
偶然になりますが、実父がジョブズさんを捨てたのと同じ23歳の時に、交際相手クリスアンさんとの間に生まれた子どもを手放しています。(前述のとおりです)血筋は争えないというのか、歴史は繰り返すというのか、なんとも寂しいかぎりですね。
”生まれた時に捨てられた”というトラウマが、強烈な性格、支配欲、異常なこだわり体質につながっているとみる専門家も少なくありません。
1955年に生まれたジョブズさんは、1976年にスティーブ・ウォズニアックさんとともに、パーソナルコンピュータApple Iを開発。20歳のとき、両親のガレージでアップルを創業しました。その後、Apple IIを開発すると、空前の大ヒット。早々に株式公開を果たし、ジョブズさんは若くして莫大なお金を手に入れることになります。
そして、1984年にMacintoshを発売。革新的なCMは、当時の人々を驚愕させました。そのCMが、こちらです。
1984年1月24日、アップルコンピュータはマッキントッシュを発表します。そして我々は、今年1984年が、小説『1984年』に描かれているような年にならないことを、お目にかけましょう。
製作費は1500万ドル、監督はあのリドリー・スコットさんです。1984年1月22日、スーパーボウル放映中にこのCMが流れると、お茶の間の話題をかっさらいます。ジョブズさんの思惑は、大当たり。このCMは、広告史上最大のヒット作品になったのです。
このまま一気に成長を加速させるか…と思いきや、そうは問屋が卸しません。膨大な在庫を抱えたアップルは、初めて赤字決算になり、従業員の20%を解雇するという事態に陥ります。需要予測を誤ったジョブズさんは、取締役会で責任を追及され、終いにはお払い箱に・・・。スティーブ・ジョブズ、30歳。自分が始めた会社をクビになってしまったのです。
この時、ジョブズさんをアップルから追放したのが、三代目CEO ジョン・スカリーさんです。
ジョン・スカリーさんは、25歳のスティーブ・ジョブズさんが、ペプシ・コーラから引き抜いたマーケティングの第一人者です。その時の口説き文句は、あまりにも有名です。
「このまま一生砂糖水を売り続けるか、一緒に世界を変えるか」
当時、マイケル・ジャクソンさんのCM起用やコーラの無記名飲み比べなど、過激なCMで「コーラ戦争」を制したジョン・スカリーさん。ジョブズさんにとって、どうしても手に入れたかった逸材でした。18か月の交渉の末、このように口説き落としたのです。
それにしても、自分がスカウトした人間に、自分が創業した会社から追い出される、なんとも皮肉な運命です。
アップルから追放された5年間は、結果的に、ジョブズさんにとって人生最良の出来事になりました。自信こそ失ったものの、人生のうちで最もクリエイティブな期間となったのです。ジョブズさんは、「アップルを追われなかったら、今の私はなかったでしょう」と、スタンフォード大学でのスピーチで語っています。
https://www.youtube.com/watch?v=XQB3H6I8t_4
では、ジョブズさんがこの空白の5年間で一体どんなことをしたのか、一緒に見ていきましょう。
1986年、ジョブズさんはルーカス・フィルムのコンピュータ・アニメーション部門を1,000万ドルで買収。これが後のピクサーです。ピクサーは、世界初のCGアニメ「トイ・ストーリー」で成功をおさめ、世界最高のアニメスタジオとなりました。ちなみに、ピクサーは、2006年にディズニーに買収され、ジョブズさんはディズニーの役員に就任しました。
詳しい内容は、こちらの記事をご覧くださいませ。
アップルを追い出されたその年、ジョブズさんは、教育やビジネス向けの高性能コンピューターを開発、製造する会社ネクストを創立します。ネクストで培った技術は、後にアップル社の再建を支えることになります。
ジョブズさんがいなくなったアップルは徐々に経営が傾き、次期MacOSの技術を内部では開発できない状態に陥っていました。この噂を聞きつけたジョブズさん、ネクストで開発していた技術をアップルに売り込みます。その結果、思惑どおり、アップルはネクストを買収。1996年、ついにジョブズさんはアップルへの復帰を果たすのです。
アップルに返り咲いたジョブズさんが最初に行った仕事は、徹底的に無駄をなくし、ありとあらゆるものを捨てることでした。使わない機材を寄贈し、会議に必要だと思えない人に、迷わず退席を促していきました。
特にこだわったのが、最少人数のスタッフで決定することでした。漸進なものも、多くの手が加われば、一般的なアイデア、無難なデザインに落ち着くことを、ジョブズさんは熟知していたのです。日本のワビ・サビを好んでいたのも、素直にうなずけます。
そして、出来上がったのが、iMac、iPod、iPhone、iPadなどの商品です。シンプルこの上ないデザインで、世界中を瞬く間に席巻。包装パッケージは固く高級感のある真っ白な箱のみ、もちろん、分厚い説明書なんてありません。
2001年1月、ジョブズさんは、デジタルハブ構想を高らかに宣言します。デジタルハブ構想とは、様々なデジタル機器をパソコンと一緒に使うことで、生活がもっと楽しく便利になるという構想のことです。
ジョブズさんは、これら4つのことに経営資源を集中させます。まずは、製品ラインナップの簡素化とデザイン重視の戦略で、iMacを市場に送り出します。その後、iPodとiTunesによって、アップルを携帯音楽プレイヤーのナンバーワン企業に押し上げ、iTunesストアで有料楽曲配信を成功させました。音楽業界で誰も成し遂げていなかったものを、カタチにしてみせたのです。
もし、ジョブズさんがディズニーの個人筆頭株主としてエンタテインメント業界の大物になっていなかったら、規制にうるさい音楽業界を黙らせることはできなかったと思います。
さらに、アップルは、iPhoneでスマートフォン市場を切り開き、iPadでタブレット市場をリードして、大躍進を遂げました。
こうした大躍進の影で、ジョブズさんの体はガンに蝕まれていたのです。
ジョブズさんが復帰してから、2011年10月5日にこの世を去るまでの15年間で、アップルは世界で最も価値ある企業へと変化を遂げました。時価総額世界一を達成し、死後に発売されたiPhone 4Sは飛ぶように売れました。
ジョブズさん復帰にまつわる事実や経緯を調べれば調べるほど、絶妙なタイミングと偶然の組み合わせから生まれた産物だと感じさせられました。一度会社から離れ、再び経営に携わるケースは少なくありません。しかし、ジョブズさんの場合は、相当なレアケースです。あれほどの大企業で、創業者が自ら作り上げた会社から追い出され、呼び戻されて救世主になった、初めてのケースと言えるでしょう。
ジョブズさんを追い出したスカリーさんは、後にこのように語っています。
「アップル最大のミスは、私をCEOにしたことだ」
最近では、プロの経営者を招き入れ、創業家をないがしろにする傾向が目立ちます。過去のしがらみを断つメリットと引き換えに、創業家だけがもたらすことができる魔法やエネルギー、事業の推進力を失う可能性も、同時に考えなければなりません。
ジョブズさんは、スカリーさんをアップルに招き入れたことで、アップルを一時的に離れることになりました。しかしそれが故に、世界で最も価値のある企業が生まれたと言っても過言ではありません。スカリーさんのCEO就任は、ジョブズさん、ひいてはアップルにとっても、次なるステップに移行するためには、必然だったのではないでしょうか。
過去の決断を撤回し、ジョブズさんを再びCEOに復帰させた当時の取締役会。この勇気ある決断にも敬意を表したいと思います。
ジョブズさんは、「人生、そんなに悪いもんじゃないよ」ってことを、身をもって証明してくれたのだと思います。その証拠があります。高校生になった息子リード・ジョブズさんは、あるクイズ番組で、自分の夢をこのように語っています。
腫瘍の学者になりたい。
家族の愛に飢えていたジョブズさんにとって、この言葉は格別だったに違いありません。「父親の難病を治したい」という気持ちから、発せられた息子さんの心からの言葉です。この2年後に、ジョブズさんは息を引き取ることになります。
愛する家族に見守られ、多くの人に惜しまれながら、この世を去ったスティーブ・ジョブズ(享年56歳)。波乱万丈の生き様は、”人生にとって何が大切なのか”を考えさせられました。
ちなみに、再婚した奥様 ローリン・パウエルさんと出会ったのも、アップルから追放された5年間での出来事でした。
ジョブズさんは、いつも同じ服装をしていました。トップスはイッセイ・ミヤケの黒のタートルネック、パンツはリーバイスの501、足元はニューバランスのスニーカー。これは、決断の数を徹底的に減らし、決断疲れを回避するためだと言われています。シンプルさを徹底するこだわりっぷり、凄すぎます。
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