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NHK大河ドラマ”軍師官兵衛”面白くなってきましたね。主人公官兵衛が、荒木村重による一年余りの幽閉からようやく開放されました。今までは、見ていてつらい場面が多かったですが、これからは怒涛の活躍が期待されるのでとても楽しみです。
さて今回は、戦国最強のNo2”人情家黒田官兵衛の人生観”を探っていきたいと思います。
読者の中には、黒田官兵衛は、腹黒い策略家というイメージを持っている人が多いかもしれません。確かに、作戦や計略を考えめぐらす軍師という職業は、腹黒いというイメージがつきまといます。戦国時代の軍師ともあれば、人に対する鋭い洞察力がなければ、とても勤まるものではありません。しかし、官兵衛は策略家だけでなく、人情家としての一面が多く見られる軍師でもありました。
黒田官兵衛は、順風満帆な人生を歩んだ軍師ではありませんでした。その最たる例は、冒頭でも申し上げた荒木村重による有岡城幽閉です。御着城の城主・小寺政職に裏切られ、信長からも疑いの目を向けられます。ホント、かわいそすぎです。囚われの身となった牢屋は、有岡城内の光の差し込まない場所にあり、湿度の高い劣悪な環境にあったと言います。天井は低いため自由はききません。また、近くに溜池があったため夏場は蚊に刺され、冬場は寒さで身を震わせるという環境です。息子の松寿丸は打ち首にされ(結果として生きていたが)、助けはいつくるかわからない。よほど強靭な精神力がなければ、一年も幽閉に耐えることはできません。
このような劣悪な場所に一年あまり閉じ込められていたため、膝は曲がり、皮膚病を患い、頭にはノミやシラミの影響で瘡ができてしまいました。その姿に、化け物のようだと形容されたこともあったそうです。官兵衛にとって、失ったものは大きかったのですが、そこで得たものもまた大きいものでした。
官兵衛を有岡城から救い出したのは、栗山善助たち家臣団でした。戦国時代なので、明確に幽閉されたという情報はありません。もしかしたら、暗殺されているかもしれないという状況下での救出劇です。栗山善助らは、商人に変装し、門番を買収して、幽閉された官兵衛の身の回りの世話をしていました。忠義あふれる部下の存在は、幽閉されていなければ、なかなか気付けるものではありません。
また、死に直面することにより、生に対する価値観も大きく変化しました。死とは何かをもう一度問い直し、人生をいかに生き、いかに締めくくるかを考えるきっかけとなりました。このことは、「我 人に媚びず 富貴を望まぬ」という官兵衛の残した名言にも現れています。
謀略を得意とし、様々な人間の裏切りや末路を見てきた官兵衛は、人間の本質を見抜いていた気がします。だから、お金や地位があってもそれが自分の身を滅ぼすきっかけになることを、知っていたのかもしれません。
晩年、官兵衛は自分に天下取りの野心がないことを秀吉に示すために、家督を長政(松寿丸)に譲ります。これは、父である黒田職隆(もとたか)が、御着城の城主・小寺政職に疑われた時にしたことと同じです。運命のいたずらというには、あまりにも悲しい結末です。でも、官兵衛はそんなことにはめげません。”命あっての物種”ということを身にしみてわかっていたのでしょう。
家督を長政に譲った後、官兵衛は名を”如水”と改名します。この如水という名前について、イエズス会の宣教師のルイス・フロイスによれば、『出家して今までの功績も財産も泡沫のように、水の如くに去って行ったと語りながら、自らを「如水」と名乗った』と記しています。これは、「俗世に何の未練もなく、心は水のように清くありたい」という官兵衛の権力に対する強い意志の表れとして捉えられています。
信長・秀吉・家康に仕えた天才軍師・黒田官兵衛。戦国時代において、「負けない・裏切らない・命を無駄にしない」ことを大切にしたその生涯には、学ぶべきことがたくさんあります。きっと、水のように心穏かに過ごすことで、冷静に人の心理を読み取り、最善の方法を瞬時に模索していたに違いありません。
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