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GWをいかがお過ごしでしたでしょうか。せっかくの連休なので、どこかに出掛けた方も多かったと思います。ちなみに、筆者は子どもにせがまれ、ラグーナテンボスに行ってまいりました。映画ドラえもん「のび太の南極カチコチ大冒険 KACHI KOCHI アドベンチャー in ラグナシア」がお目当てです。
H.I.S.傘下になってからは初めてでしたが、随分と楽しませていただきました。特に、ウォーターマッピングショーやイルミネーションはホント最高でした。個人的には、本家ハウステンボスより良かったような気がします。
さて今回は、ニッポンの旅行業界の革命児 ハウステンボスを見事に立て直した H.I.S.(エイチ・アイ・エス)の澤田秀雄社長を探っていきたいと思います。
旅行代理店H.I.S.の創業者の澤田さんは、日本版LCC(格安航空会社)の先がけスカイマークを立ち上げたり、長崎のハウステンボスの経営再建など、今やマルチな才能を発揮しています。現在、私たちが気軽に海外旅行に行けるようになったのは、澤田さんのおかげと言っても、過言ではありません。
格安航空券で旅行業界に名乗りを上げた澤田さんですが、創業当初から一つのビジョンがありました。それは、”旅行に関するコンサルタント”というコンセプトです。格安航空券を売るのではなく、旅の仕方を売っていたのです。この発想、スゴいですよね。当時、50ケ国以上を旅をしていた澤田さんの経験はとても貴重なものです。お金はないが時間はある学生を中心に、H.I.S.の人気はうなぎのぼり。噂が噂を呼び、ドンドンとリピーターを獲得していきました。澤田さんは、初めから発信力のある学生をターゲットに絞っていたのです。H.I.S.躍進の秘密は、澤田さんの情報の扱い方がによるものでした。
ハウステンボスの買収についても、基本的には同じです。買収に関わった関係者の一人は、澤田さんの交渉ぶりを目の当たりにし、このように語ったと言われています。
「支援交渉を進めているうちに、自然な流れでそれが買収交渉に変わっていた。終始、澤田さんの筋書き通りだった。」
澤田さんは、ハウステンボスという優良資産を、安価で引き受けることに成功しました。そこに至るまでの、用意周到な再建シナリオ、したたかな交渉力などを一緒に見ていきましょう。
ハウステンボスが経営破綻(負債総額:約2289億円)したのは、2003年2月のことです。九州ではフェニックスリゾート(負債総額:約3261億円)に次ぐ2番目の大型倒産でした。支援企業として名乗りを上げた野村プリンシパル・ファイナンスも、2009年には音を上げることになります。
危機感を持ったのは、佐世保市長です。開業以来、約70億円にも上る公的支援金を、ハウステンボスに支出していたからです。佐世保市にとって、ハウステンボスは重要な観光資源。赤字経営とはいえ、地元経済への打撃は計り知れません。一説によると、ハウステンボスの地元への経済波及効果は、年間350億円を超えると試算されていました。
実は、野村プリンシパル・ファイナンスが引き継いで二年を経過した段階で、秘密裏に支援の打診もあったそうです。しかしながら、「集客の協力はするが経営はできない」と、澤田さんはきっぱりと断っています。その理由は、テーマパークが成立する3つ条件を、ハウステンボスは満たしていなかったからです。
澤田さんの上手いところは、「集客には協力する」という言い方をした点です。集客に協力すれば、情報が手に入ります。情報が手に入れば、巧みに活用することが可能になります。
特に、支援断念を匂わせる発言をメディアにリークし、消極的な態度を示したのは、効果的だったと思います。焦った佐世保市長が、地元の雇用、観光、経済を守るために、三顧の礼。お願いをする側ではなく、される側ということをマスコミを使って上手く世間にアピールしました。H.I.S.が断れば廃業になる可能性が高かったことを見越しての、見事な演出です。これにより、”救世主”という世論を、上手に形成したのです。
澤田さんは、経営をお断りする一方で、ハウステンボスの動向に注視しながら、再建のシナリオを徐々に構築していったのだと思います。一連の流れを、支援から買収へとスムーズに移行するための芝居と考えると、澤田さんの行動全てに合点がいきます。
交渉は、終始澤田さん優位に進みました。2010年2月、H.I.S.はハウステンボスと基本合意書を締結。澤田さん、ここでも抜かりはありません。
「ハウステンボスが125億円の資本金を全額減資した後に行う第三者割当資本金に対して20億円を出資し、かつハウステンボスにH.I.S.から経営陣を派遣する。ただし、3年以内に黒字化できなかった場合はハウステンボスから撤退する」
基本合意書に、三年以内に黒字化できなかった場合は、ハウステンボスから撤退するという防御策を盛り込んでいたのです。
さらに、佐世保市との間でも、「固定資産税に相当する再生支援交付金を10年間ハウステンボスに交付する」と、免税の約束も取り付けました。この再生支援交付金は、金額にすると年間8.8億円、総額で約73億円にものぼります。
それだけではありません。澤田さんは、「H.I.S.を推薦した責任がある」とばかりに福岡七社会とも交渉。ハウステンボスの借入金の8割(約60億円)を福岡銀行などが債権放棄する約束を取り付けたうえ、九州電力、西部ガスなどから合計10億円の出資まで引き出しました。
これにより「新生ハウステンボス」の出資金は、H.I.S.の20億円と合わせて30億円。一方で、負債は約12億円。澤田会長は出資金の一部を負債の一括弁済に充当し、事実上の無借金経営を実現し、ハウステンボスを子会社化(出資比率約67%)しました。
この時点で、澤田さんによるハウステンボス再建の8割方が終了。あとは、経営改革をただただ推し進めるだけとなったのです。
周囲の猛反対を押し切って経営支援を決めた澤田さんでしたが、新生ハウステンボスの陣頭指揮を執る社長がなかなか決まりません。H.I.S.社内にも希望者はおらず、外部招へいしようにも時間がかかりすぎます。結局、澤田さんが社長に就くしかなかったそうです。住民票も佐世保市に移し、1カ月のうち、3分の2近くの時間をハウステンボスに費やすことにしたのです。これにより、従業員に澤田さんの本気度が伝わりました。
ハウステンボスは、オランダの街並みを再現したテーマパークです。しかしながら、オランダそのものではないのでどうやったってオランダには敵いません。澤田さんが考え出したコンセプトは、オランダのテーマパークではなく、東洋一美しい観光ビジネス都市という視点です。花と緑と水に囲まれたクラシックな美しい街並みでありながら、最先端のスマートシティ(次世代環境都市)。近未来の都市を再現して見せたのです。
澤田さんは、まず開業以来18期連続赤字のなかで働くスタッフを集めてこのように語りました。
「給料も上がらずボーナスも出ないのに、なぜ、皆さんはここで働いてきたのですか。それはお客様を喜ばせたい、感動させたいといった想いがあるからではないでしょうか。皆さんにも夢があるでしょう。ぜひ聞かせてください。私はハウステンボスを東洋一美しい観光ビジネス都市にしたいという夢が描けたから、再建をお引き受けしました。皆さんの夢と私の夢を併せて、この素晴らしい可能性に満ちたハウステンボスを再生させましょう。」
新しく会社に来た社長から、こんな言葉をかけられたらうれしいですよね。澤田さんは、バラバラだったみんなのおもいのベクトルを、就任早々一つにそろえることに成功したのです。そのうえで、黒字化のための3つの基本方針を打ち出しました。
3つの基本方針は、極めてシンプルなものでした。この方針を愚直に推し進めた結果、1992年の開業以来、18年間にわたり営業赤字を垂れ流していたハウステンボスは、澤田さんが社長に就任後たった1年で営業黒字を達成。この経営手腕は、澤田マジックと呼ばれています。
「会社は経営者次第」まさに、この言葉がぴったりと当てはまりますね。10年間という約束だった再生支援交付金(固定資産税相当額)も、2014年3月期を最後とし、残期間の交付は返上しています。
再生のシナリオを丹念に練り上げ、伏線を慎重に敷き、攻める時期が来ると果敢に攻め立て、鮮やかな手並みで買収を成功させた澤田さんの手腕はお見事です。ミッション・インポッシブルを可能にしたのは、スタッフを巻き込むリーダーシップです。澤田マジックには、私たちが見習うべきところがたくさんありますね。
現在では、旅行代理店・テーマパーク事業・ホテル事業など多角化が進み、順調に業績を伸ばしているH.I.S.。2016年10月、澤田さんは12年ぶりの社長(会長兼務)に復帰しました。その復帰理由が、注目を集めています。
「(旅行事業で)攻めのM&A」「5年以内に売上高倍増で1兆円企業へ」など、意思決定をスピード化を目指すためだと澤田さんは語っていますが、実際のところ、後継者問題が気になるところです。創業社長のカリスマ性と才覚によって大きくしたH.I.S.の今後が、少しだけ心配です。
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